こんにちは、Takasakuと申します。
患者数も情報も少ない原発性硬化性胆管炎(PSC)という難病になり、唯一の治療法である、肝臓移植まで経験した出来事を書いてみました。個人の一例として参考になると幸いです。
※あくまで体験談ですので個人差が絶対あります!
『予後と余命』病歴、肝臓移植までの流れ
病歴を大まかですが下記に整理してみました。自分の場合は診断から10年目で移植をしました。情報を探すと大体この年数が出ると思いますので平均的だったのかもしれません。
胆管に慢性炎症を引き起こす原因不明の疾患です。国内の総患者数は約1200人程度と推計されており、国の難病対策として制定される特定疾患となっています。男女比はおよそ3:2であり、好発年齢は20歳代と60歳代にピークがあります。炎症性腸疾患(多くは潰瘍性大腸炎)の合併が4割程度に見られるのが大きな特徴です。進行性に悪化し、約10-15年で肝不全に至ります。
東京大学医学部附属病院 消化器内科 胆膵グループ より引用
『予後と余命』発覚から4年目まで
2009年に会社の健康診断で血液検査の異常を指摘され再検査、その後に検査入院を経て病気が発覚しました。発覚した当時は全く自覚症状はなく、下記の採血データの様に前年までは全く予兆はありませんでした。強いて言えば体は細型でしたが、運動は好きで活発的でした。
2013年までは大きな病変は無かったのですが、度々急性胆嚢炎を発症しました。症状は発熱を伴う腹痛でとにかく痛いのと高熱が特徴。治療は殆どが抗生剤の投与で炎症が収まっていましたので、入院しても数日程度の短期でした。ほぼ100%食後(特に油っぽい物を摂取後)に発症しており、その後は消化に悪いものは極力控えました。
『予後と余命』5年目~8年目
2014年に内視鏡検査で、最初の食道静脈瘤が発覚し入院。1カ月かけて治療するも3カ月後に再発。この頃本格的に病状が悪化するも、生体肝移植が出来る見込みが無かった為、脳死移植の可能性を調べ、実施している都内の病院を全て回りました。
都内の病院を周った結果、脳死移植登録できる可能性があると言う事で都内の病院Bに検査入院するも、病状が良いので結局登録NGに。その後も移植の事を考慮してそのまま1年程通院するも病状が安定していた為、かかりつけ病院(A病院)に戻り通院を再開して間もなく3回目の食道静脈瘤が再発しました。
『予後と余命』8年目~10年目
食道静脈瘤治療後、腹水が出始めました。恐らく静脈瘤を治療したことで炎症が進んだと思われます。1年程は腹部膨満感がありましたが症状は安定していました。その後に病状が悪化した為に腹水穿刺を実施。1回目以降穿刺を繰り返す度に腹水が溜まるスピードが早まっていきました。状況が悪くなり移植基準に達した為、都内の病院Cに検査入院をしました。

検査入院中から病状が悪化し何とか退院はしましたが、数日で更に悪化したためA病院に行くとそのまま入院となり1週間弱で意識不明となってしましました。瀕死状態となりましたが、移植ドナーが見つかり脳死肝臓移植を実施することができました。
その後、移植から3カ月経過し病状は安定し、なんとか一人で歩けるようになり(杖は使用していました)退院し、自宅療養から現在に至ります。
『予後と余命』総括
原発性硬化性胆管炎の場合、合併症の発生率が高く、進行度も個人差が大きいので予後が読めない病気だと思います。自分の場合は大きな合併症がなく教科書通りに進行、悪化していきました。ちなみに表紙画像は2017年に主治医が書いた予後予測でした。
改めて書くと項目が少ない感じですが後半は本当に早かったです。恐らく5年目で胆管狭窄が進行して食道静脈瘤が出たと思いますが、そこを治療した事で一気に肝臓に負担がきたのでしょう。それ以前は症状を実感することは殆どありませんでしたが、腹水が出現し始めると本当に毎日辛く治療できない絶望感の毎日でした。
移植の希望はありましたが、実際できるのか不安であり移植は想像してなかったので、このような事を書くのは何とも不思議なものですが、このまとめが誰かの役に立つと幸いです。
以上が自分の病気発覚から10年分の出来事の総括でした。量が多いので採血データは載せてませんがそれを含めた総括も書く予定です。
※追記『10年間の採血データ推移』書きました⇩
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